布団沼ひかり欠乏症候群

朝は、布団という沼の底で目を開けた。起き上がる理由が、部屋のどこにも見当たらない。窓の外の光はちゃんと仕事をしているのに、こちらはまだ充電切れのまま。シャワーの音すら今日は遠く、肌の上に積もった時間だけが、じっと重みを増していく。在宅という言葉は、自由の仮面をかぶった甘さで、いつも私の足首をやさしく掴む。

予定表には、英語、ニュース、散歩、スライド、資格登録、資料の読み込み。文字は整然としていて、まるで未来がすでに片づけられているみたいだ。でも現実は、整然としない。机の上の空気だけが先に働き始め、私はそれを眺めている。外に出ればいい。歩けばいい。けれど玄関は、世界への扉であると同時に、言い訳の出口でもある。散歩は「する」と書いた瞬間に少しだけ達成されて、実際の足取りは後回しになる。

朝、誰かが作ったスライドがそこにあった。忙しさの渦の中心にいるはずの人が、なぜこんな作業まで抱えているのだろう。画面の中の整った図形や言葉が、静かな叱責みたいに見える。私はもっと主体的に動くべきだ、と胸のどこかで小さな鐘が鳴る。けれどその音は、すぐに生活音に紛れてしまう。自分の怠け心は、いつも上手に音量調整をする。

会議の通知が来て、発表役が自分になった。逃げ場のないスポットライトが、まだ点いてもいないのに、すでに目の奥を熱くする。土日に練習しなければ。未来の自分に宿題を押しつける癖は、今日も健在だ。週末という名の倉庫に、焦りと課題を積み上げていく。いつか崩れると分かっているのに、積む手は止まらない。

資料を読み込む時間は、海に潜るみたいだった。ページをめくるたび、知らない単語や概念が泡のように上がってきて、息が続かない。すべてを理解するのは難しい、と早々に白旗を上げたくなる。けれど不思議と、嫌いではない。むしろずっと触れたかった種類の情報で、指先がかすかに喜んでいる。理解できないことの向こう側に、まだ見ぬ景色がある気がして、そこだけが今日の灯りだった。

資格の登録も、ニュースも、英語も、どれも「やった」と胸を張れるほどには進まなかった。やりかけのタブが増え、閉じられないままの思考が増え、夕方は薄い影を部屋中に広げていく。夜は結局だらだらと流れた。流れる水に逆らうのが面倒で、ただ漂ってしまう。けれど漂いながらも、心のどこかで、明日こそはと小さく手を伸ばしている。

今日は、何かを成し遂げた日ではない。むしろ、成し遂げられなさを丁寧に味わった日だ。それでも、誰かの作ったスライドが残した刺、発表という約束の重み、理解できない資料の海の手触り——それらが、眠気の底で私を起こそうとしている。布団の沼から抜け出すには、たぶん大きな決意はいらない。シャワーの水が最初の一滴落ちるみたいに、ほんの少しの始まりがあればいい。今日はまだ、その蛇口をひねれなかっただけだ。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。