朝も夜もパン、それでも模試は九割超えだった日

朝の目覚ましは鳴ったはずなのに、身体だけが布団の底に沈んだまま浮上してこなかった。家の台所は、いつもなら一日の始まりを告げる小さな舞台なのに、今日はその幕が上がらない。結局、朝食という儀式をまるごと置き去りにして家を出て、代わりに職場でスティックパンをかじった。包装を開く音がやけに大きく感じて、噛むたびに「遅れた分」を埋め合わせようとするみたいに口が忙しい。パンはパンでしかないのに、こういう日は妙に現実的で、淡々としていて、助けられる。

今日は「やること」がはっきり並んでいた。模試を回して、午後には説明会に参加して、それから早めに通販も済ませる。やることがある日は、心が散らかりにくい。なのに、散らかるときは散らかる。まずは模試。二周目というだけで、前より指が軽い。問題文の癖も、ひっかけの角度も、どこかで見た影の形みたいに思い出せる。それでも、数字が出る瞬間は少しだけ息を止めてしまう。結果はどちらも九割超え。画面の上の点数が、今日の自分に「大丈夫」と言ってくれる。努力が努力のまま終わらず、ちゃんと形になって帰ってくる日は、静かにうれしい。

午後の説明会は、未来の道具を見せられる時間だった。画面の向こうで語られる言葉は滑らかで、便利さは眩しいほどに整っている。けれど、こちらの足元にはまだ橋がかかっていない。前提となる環境が揃っていないと、どんなに良い道具も「使えそう」で止まってしまう。ショーウィンドウ越しに新しい靴を眺めるみたいだ。似合いそうだし、遠くまで歩けそうなのに、今はまだ履けない。期待と現実の間にある薄いガラスを、指先で軽く叩いた気分だった。

夜は塩パンを食べた。朝のスティックパンと、夜の塩パン。今日の食事は、なんだか物語の小道具みたいにパンが多い。塩の粒が舌に当たると、疲れが少しだけほどける。結局、予定に入れていた通販はしなかった。画面を開いて、閉じて、また開いて、気づけば時間だけが滑っていく。だらだらすることは、怠けというより、電池が切れかけた機械が勝手に省電力モードに入る感じに近い。やらなきゃ、と思うほど指が動かない。

それでも、今日のどこかには確かな手応えがある。九割超えの数字は、眠い朝や間に合わなかった朝食を帳消しにはしないけれど、「進んでいる」という事実だけは残してくれる。使えない道具を見せられたことも、無駄ではないはずだ。まだ橋がないなら、橋を待つ時間にできることを増やせばいい。パンの一日で終わったとしても、明日には別の味がある。塩気の残る指先で、次の一歩の輪郭だけをそっと確かめながら、今日は眠る。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。