何もしてない日、試験だけ受かった日

目が覚めたのは、朝というより午前の縁側みたいな時間だった。時計はもう二桁の数字を並べていて、布団の中で「今日はちゃんと始められるだろうか」と、まだ始まってもいない一日に言い訳を探していた。けれど救いは、玄関の向こうから届く気配だった。ちょうど荷物が届いて、受け取った箱は冬の息を閉じ込めたみたいに冷たかった。急いで冷凍庫を開ける。スペースは思った以上に狭くて、まるでテトリスの終盤。ぎりぎり、ほんとうにぎりぎりで収まった瞬間、今日の運を一つ使った気がした。

その運は、昼過ぎにもう一度試されることになる。資格試験の画面は静かで、質問文は淡々としているのに、こちらの心臓だけが妙に騒がしい。追い込みのつもりで積み上げた知識が、いざとなると砂の城みたいに指の間からこぼれそうになる。思ったより難しい。いや、難しいというより、こちらの覚悟の薄さが試されるタイプのやつだ。問題を読むたびに、「わかる」と「たぶん」がせめぎ合う。けれど最後まで歩き切った。結果は合格。危なげがない、と言い切れるほどの点数が出たとき、胸の奥に溜まっていた息がやっと外に出た。勝ったというより、ちゃんと戻って来られた、という感覚に近い。

届いた“完全”を名乗る食事も試した。味はそこそこ。劇的においしいわけでも、感動するほど新しいわけでもない。ただ、手間が削れるという一点で、妙に現代的な優しさがある。料理という儀式を省略して、栄養だけをすっと差し出される感じ。人間らしさを削っているのか、人間らしさを守っているのか、判断がつかないまま咀嚼した。

夕方には少し歩いた。大きな駅のある方角へ、吸い寄せられるように。人の流れは川みたいで、そこに立つと自分の輪郭が薄くなる。行き先のない散歩は、目的地を持つ人たちの背中を眺める時間になる。ガラスに映る街は明るくて、なんでもありそうで、でも自分の手の中には何も増えない。足の裏だけが「今日も生きている」と教えてくれた。

夜、楽しみにしていた配信は今週なさそうだと知った。予定表に書いたはずの灯りが、すっと消える。拍子抜けというより、静かな空白ができる感じ。結局、今日の自分は「あんまり何もしてない」と言ってしまいたくなる。買い物もしていないし、派手な出来事もない。ただ、試験に受かった。それだけで十分なはずなのに、それだけでは一日を満たしきれない気もする。

それでも、冷凍庫に押し込んだ箱の手応えと、合格の文字が残した余韻と、街の川音みたいなざわめきが、薄い毛布のように今日を覆っている。何もしていない日ではなく、必要最低限の火種だけを守った日。派手に燃えなくても、消えていない。それが、今日のいちばん確かな成果だった。


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この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。