努力が透明になる日、それでもゼロじゃない
目が覚めたのは、朝というより「朝のふりをした時間」だった。窓の外はちゃんと明るくて、世界はもうとっくに動き出しているのに、こちらの頭はまだ布団の縁に引っかかったまま。起き上がった時刻はそれなりに早いはずなのに、胸の内には「遅れた」という感覚だけが残る。今日やるはずだった英語の作業は、机の上に置かれたまま、薄い紙みたいに存在感を失っていた。やる気はある。たぶん。けれど、やる気というのは握ろうとすると指の隙間からこぼれていく砂だ。
昼以降は、別の場所で別の空気を吸った。資料の場。言葉が行き交い、画面の向こうにいる誰かの視線がこちらをかすめる場所。そこで、ある人が自分の作ったものをさらりと紹介してくれた。名前を呼ばれたわけでもないのに、心の中の小さな風鈴が鳴った気がした。認められた、というほど大げさではない。ただ「見えている」と思えた。その感覚は、思ったより体温を上げる。もっと自分から前に出た方がいいのかもしれない。遠慮が美徳だと信じてきた癖は、時々、自分の輪郭まで薄くしてしまう。なら、少しだけ図太くなる練習をしてもいい。
学習は、量としては悪くなかった。模試を一回回して、さらに問題を七十問。数字だけ見れば、今日の自分はちゃんと働いている。けれど、集中はどこか別の部屋に置き忘れてきた。解いている間も、頭の片隅で別の映像がちらつき、気づけばページをスクロールする指だけが慣性で動いている。進んでいるのに、前に進んでいる感覚がない。そんな日がある。努力が透明になる日。頑張っているのに、頑張っている手応えが返ってこない日。
夜は結局、動画の海に沈んだ。一本だけ、のつもりが、次の一本が勝手に手を引いてくる。気づけば時間は薄暗い深海みたいに流れていて、息継ぎのタイミングを逃した。何かを得た気もするし、何も残っていない気もする。今日という一日が、少しずつ輪郭を失っていくのを見送るしかなかった。
それでも、ゼロではない。誰かが自分の資料を拾い上げてくれたこと。七十問と一回分の模試を終えたこと。だらだらした自分を、だらだらしたまま記録できたこと。明日は、今日より少しだけ、自分から「ゴリゴリ」行けたらいい。砂を握るのではなく、砂の上に足跡をつけるように。消えてもいいから、今日より深く。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。