決意は朝は透明、夜に濁る——それでも二十一時半に布団へ
目が覚めたのは七時半を少し過ぎたあたり。窓の外はもう「朝の顔」を完成させていて、こちらだけが取り残されているようだった。起き上がるたびに、生活の歯車が一枚ずつ噛み合っていない音がする。昨夜の自分に、たった一言だけ手紙を出せるなら「もっと早く寝ろ」と書く。いや、命令じゃなくて祈りに近い。二十一時半には布団にいる。そう決めてみる。決意はいつも、朝の光の中ではやけに透明で、夜になると濁る。
今日の予定は、机の上に並べた札みたいにいくつもあった。英語の作業、資料のこと、資格の模試を二周、そして夜には通販で買い物。どれも小さな旗のはずなのに、並べると自分の背丈より高い壁になる。けれど壁は壁で、登るしかない。手を伸ばして、指先が引っかかるところから始める。
夕方、ひとつの予定が明日にずれた。いわゆるリスケ。予定表からその項目が滑り落ちる瞬間、肩の荷が下りるというより、荷物の形が変わる感じがした。空いた分で模試を回す。結果として三回分できた。数字だけ見れば前進だし、達成の印も付けられる。でも、前進っていつも静かで、祝福の音が鳴らない。自分で自分の背中を叩こうとしても、手が届かないみたいだ。
会議の声が背後から聞こえてきた。同期や、年の近い誰かが、迷いのない調子で言葉を置いていく。言葉が椅子に座り、机に肘をつき、そこが自分の場所だと言わんばかりに場を支配していく。その様子を見ているだけで、胸の奥が勝手に走り出す。心臓が早鐘みたいに鳴って、体のどこかが震えを始める。「少し人と話すだけで」そうなる自分が嫌になる。嫌だ、と思うほど、さらに体が固くなる。比較は刃物だ。自分に向けると、切れ味だけが無駄に良い。
それでも、彼らが悪いわけじゃない。むしろ眩しい。眩しさは目を細めさせる。目を細めた分だけ世界が狭くなる。狭くなった世界の中で、自分は小さくなる。そんな循環を、今日は何度も回した気がする。たぶん、誰にも見えないところで。
夜、買い物をするはずだった。生活を整えるための、ささやかな儀式みたいなもの。けれど結局、だらっとしてしまって、画面を開くことすらしなかった。明日に回したものが増えただけ、と言えばそれまで。でも、今日の自分は今日の自分で、精一杯のところまで来たのかもしれない。予定を守れない自分を責める声と、これ以上追い詰めるなという声が、同じ部屋で言い争っている。
寝る前に、明日の自分へまた手紙を書く。「二十一時半には布団へ」。それだけ。守れるかどうかは分からない。でも、守れなかった日があっても、書き続けることに意味がある気がする。震えたことも、鼓動が早かったことも、買い物をしなかったことも、全部ひっくるめて今日。うまくいかない日の記録は、未来のどこかで、案外やさしい灯りになるのかもしれない。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。