迷路みたいな一日、最後に笑いだけが残った
目覚ましは鳴ったはずなのに、身体だけが別の季節に取り残されたみたいで、起き上がる気力がどうしても湧かなかった。気づけば家を出たのは八時四十五分。朝の英語も、積み上げるはずだった作業の段取りも、布団の端っこに置き去りのまま。こういう日は、最初の一歩を踏み外すと、その後の時間がずるずると坂を転がっていく。
電車に乗る。一本で着くのはありがたいのに、降り立った先の街はやけに広く、役所のような顔をした建物たちが迷路の壁みたいに立っている。便利さと巨大さは同居できるらしい。目的地へ向かうだけなのに、歩くほどに自分の輪郭が薄くなっていく気がした。
職場では、まず連絡のための場所を整える。チームのチャットを作り、会議の器も用意する。けれど夕方になっても返事はなく、静かな画面だけがこちらを見返してくる。明日やるのか、今日やるのか、やらないのか。曖昧さは酸素みたいにどこにでもあるのに、吸い込みすぎると頭がぼんやりする。だからこそ、結局は「準備だけはしておくべきだ」と自分に言い聞かせる。未来が来るかどうかは分からないけれど、来たときに手ぶらで立ち尽くすのはもっと嫌だ。
資格の登録や申請も進めた。けれど、手続きの小さな分岐で迷ってしまい、結果として周りに余計な手間をかけた。画面の向こうの誰かの時間を削ってしまったと思うと、胸の奥に小さな石が沈む。反省はする。でも反省だけで償えるほど、他人の時間は安くない。
勉強のほうは、思ったほど進まなかった。模試は「解くだけ」で二時間ほどかかり、解説まで読み込むと三時間以上が溶ける。溶ける、という表現がいちばん近い。努力の熱で溶けるのではなく、ただ手のひらからこぼれ落ちていく氷みたいに。結局、今日は解き切れず、過去に解いた問題の解説を眺めて終わった。試験日を想定して逆算すると、焦りは当然ある。それでも、焦りが勉強の燃料になる日は少なく、むしろ視界を狭める煙になりがちだ。
夜。やると決めていた棚卸し――仕事、キャリア、暮らし、買いたいもの、メモの整理、書くこと、読むこと、その他もろもろ――それらは机の上に並ぶはずだったのに、結局なにも並ばなかった。代わりに、短い笑いが部屋を満たした。コントが面白かった。それだけが今日の救いみたいに残った。笑いを求めるのは、心が少し弱っているときが多い、と自分でも思う。だからこそ、その笑いは薬にも毒にもなる。気づけば、薬だけ飲んで食事を抜いたみたいな夜だった。
一日を振り返ると、できたことより、できなかったことのほうが目につく。でも、何もしていないわけじゃない。迷路の中を歩き、器を用意し、石を抱え、氷を握り、最後に少し笑った。明日はせめて、最初の一歩だけは自分で選びたい。布団の端っこに置き去りにしたものを、ひとつでも拾いにいくために。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。