断ったランチと手汗の夜、明日の会議に言葉の背骨を通すまで
朝は、目が覚めた瞬間に勝負がついてしまう気がして、考える前にシャワーへ逃げ込んだ。湯気の膜で世界をぼかしてしまえば、今日という一日の輪郭もいったん溶ける。鏡の前に立つころには、ようやく「やること」が現実の硬さを取り戻してくる。予定は並んでいるのに、心はまだ追いつかない。だからこそ、身体のほうから先に起動する。そういう朝だった。
ニュースだけは見た。短い時間、画面の向こうの出来事を眺めていると、自分の生活のちいささが安心にも不安にもなる。世界は勝手に進むし、こちらも勝手に今日を消費する。その淡々とした流れに、うまく乗れているのか、置いていかれているのか、判別がつかないまま。
昼に近い時間、ふいに誘いが届いた。遠くへ行っていた人が戻ってきたらしい、だからランチをどうか、と。断った。理由はいくつもあったけれど、どれも決定打にはならない種類のものだ。そもそも普段から食事を共にする関係ではないし、相手のやさしさがこちらへの好意と同義だとも思えない。気を使ってくれただけかもしれない。その「かもしれない」が、胸の内で小さな石みたいに転がって、何を話せばいいのか分からなくなる。断ることで守れたのは時間よりも、たぶん自尊心の薄い皮膚だった。
仕事のほうは、会議が一日ずれた。少人数の場は、逃げ道がないぶん、光もよく当たる。発言の番は必ず回ってくるだろうし、準備の粗はそのまま声に出てしまう。なのに不思議と緊張より、わくわくが勝っている。やるべきことの見通しが立っていると、人は勇気を錯覚できる。怖さを「段取り」に変換できるからだ。帰宅して少しだけ準備を進めたが、まだ骨組みが甘い。もっと構造化して、もっと具体的に。明日の朝までに、言葉に背骨を通す。
一方で、模試はとりあえず一周終わった。終わった、という事実だけが救いで、成績は救いにならない。学ぶ内容がつまらない、という感情は罪悪感を伴う。必要だからやっているのに、心が全力で抵抗してくる。何度眠りに引きずられそうになったか分からない。仕事のタスクも増えてきて、受験日を延ばすという現実的な逃げ道がちらつく。逃げ道なのか、戦略なのか、その境界はいつも曖昧だ。
最近、手汗が止まらない。スプレーをしても、まるで心の中の湿度が指先から漏れているみたいに、じわじわと戻ってくる。焦りが形を持つとこうなるのか、と妙に納得してしまう。握手もしないのに、誰かに見られている気がするのが厄介だ。
夜は未定のまま終わっていった。結局、今日を決めたのは大きな出来事ではなく、断った一回の返事と、先延ばしにしたい気持ちと、明日に向けて書き直すべきメモの断片だった。眠る前、明日の会議まで二時間の猶予があると自分に言い聞かせる。猶予は希望にもなるし、油断にもなる。だから今日は、希望として抱えて眠る。もう寝よう。湯気の膜の代わりに、暗闇で一日をぼかしてしまえばいい。明日は、もう少し輪郭のある言葉で話せますように。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。