遅起きでも前進できた日、次は声を出すと決めた

朝は、目覚ましの音がどこか他人事みたいに遠くで鳴っていて、気づけばもう日差しが部屋の角を押していた。起きたのは遅めの時間。今日こそ英語をやる、と昨日の自分がガラスに書き残したみたいな決意は、起き上がった瞬間から薄く曇っていった。やる気がないわけじゃない。ただ、身体がまだ夢の側に片足を突っ込んでいる。そういう日がある。

それでも、手ぶらで一日を終わらせなかったのは自分を褒めていい。資格の勉強は一周を進めたし、模試も一回解いた。紙の上の選択肢を追いかけているうちに、頭の中の霧が少しずつ晴れていく感じがした。満足、という言葉が今日はちゃんと重みを持っている。予定の全部は拾えなくても、拾えたものを握りしめて帰れば、それは前進だ。

昼のどこかで、隣の席に「話が通じる人」が座った。固有名詞は出さないけれど、インフラだとかキャリアだとか、そういう少し硬い話題を、気取らずに投げ合える相手。気づけば四十分くらい、時間がすり抜けていた。嬉しかった。自分の中に、普段は言葉にならずに沈んでいる関心があって、それを掬い上げてくれる手があると、こんなに呼吸が楽になるんだと思った。だけど同時に、向こうから話しかけてくれたことに甘えている自分も見えた。意地を張って黙り込むのは、もう「キャラ」じゃなくてただの癖だ。コミュ障という看板に守られて動けなくなるのは、そろそろ終わりにしたい。

声もそうだ。挨拶のとき、喉がきゅっと閉まって、会釈だけで済ませてしまう自分がいる。たった一言なのに、言葉が身体の中で渋滞する。今日の会話が嬉しかったからこそ思う。言葉は、出さないと届かない。届かないままのものが増えるほど、世界は狭くなる。次はちゃんと声を出す。小さくてもいいから、音にして渡す。

夜は本当は課題の整理と計画を立てるはずだった。でも、机の上の未来より、目の前の機械のことを触ってしまった。パソコン周りを調べて、気づけばメモリが安いという理由だけで買っていた。必要かどうかより「今なら得」という魔法に弱い。けれど、これも悪い逃避ではない気がした。環境を整えるのは、遠回りのようでいて、明日の自分の助走になることがある。問題は、その助走だけで走った気になってしまうことだ。

寝る前に、ふとディクテーションの教材が気になった。耳から入ってくる英語を、手で捕まえる練習。今日できなかった「英語」の代わりに、明日の扉を少しだけ開けておく。遅く起きても、予定を完璧にこなせなくても、会話の温度と、模試を解いた手応えと、そして「次は声を出す」という小さな誓いが残った。今日という一日は、反省で終わらせるには惜しい。曇ったガラスの向こうに、まだちゃんと灯りがある。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。