手を挙げられなかった夜、次の一手を決めた日
朝、目覚ましより少し早く目が覚めた。窓の外はまだ薄いのに、頭の中だけが先に走り出していて、今日やるべきことのリストが脳内で勝手に点呼を始める。英語、WBS、問題集、会議、そして届くはずのご褒美みたいな荷物。なのに現実の私は、昨夜の続きを引きずっている。深夜まで、プロフィール用の画像を生成していた。たった一枚の「自分らしさ」を作るために、何度も微調整して、何度もやり直して、気づけば時計の針がとんでもない場所にいた。だから今朝は英語を諦めて、睡眠を拾った。拾わないと、今日の会議で自分が崩れる気がしたから。
起きてすぐ、WBSだけは眺めた。眺めた、というのが正確で、進めたわけではない。計画表はいつも、整った顔でこちらを見てくる。やるべきことが整然と並び、時間も手順も正しいはずなのに、私の方が追いつけない。予定はまっすぐなのに、私の心は曲がりくねっている。
昼は人と食べた。誰かと同じテーブルに座るだけで、体のどこかが固くなる。会話の内容は穏やかなのに、私はずっと「うまくやれているか」を監視してしまう。言葉を選ぶたびに遅れ、笑うタイミングを測るたびに疲れ、相手の表情を読むたびに自分の顔が引きつる。コミュニケーションはキャッチボールだとよく言うけれど、私の場合はボールを投げながら、同時に自分の投球フォームの欠点を実況している感じだ。投げた瞬間から一人反省会が始まって、次の一球に集中できない。ずっと頭の中でマルチタスクをしている。
そのまま午後も、心のどこかが落ち着かないまま進んだ。問題集は進めた。けれど目標の数字には届かない。百問単位で積み上げたいのに、今日は百五十問で止まった。止まった、というより、止められた。人と関わっただけで、こんなにエネルギーを持っていかれるのは本当によくない。会話の場面が終わっても、頭の中でその場面が再生され続ける。あの一言は余計だったか、もっと気の利いたことを言えたのではないか、そもそも私は何を伝えたかったのか。自分のことを伝えるので精いっぱいで、相手が喜ぶことを言う余裕がない。気を使う、という行為が、私の中ではまだ技術になっていない。
夜、会議があった。セキュリティの話題になった瞬間、胸の奥が少し熱くなった。参加したい、と言えばいい。たったそれだけなのに、言葉が喉の手前で固まった。ここで手を挙げたら、期待されるかもしれない。期待に応えられなかったらどうしよう。そんな恐れが先に立つ。結局、私は黙ってしまった。会議が終わったあと、静かな部屋でその沈黙だけが大きく響いた。
だから、戦略が必要だと思った。社内での発信力、専門性。誰かに話しかけてもらえる存在になるための設計図。偶然の雑談に頼らず、こちらから価値を差し出せる形を作る。コミュニケーションの本も読もう。根性や気合ではなく、技術として身につけたい。自分の弱さを「性格」で片づけると、永遠に変わらない気がするから。
そして、玄関には生ハムが届いていた。箱は、今日一日頑張った人への贈り物みたいにそこにあるのに、私は開ける気力がない。疲れた。嬉しいはずのものを嬉しいと感じる余裕が、今日は残っていなかった。
最後に、ひとつ決めた。前日に、次の日の夜に何をするか決めておく。夜は、意志が薄くなる時間だ。疲れた自分に舵を任せると、また画像生成みたいな沼に吸い込まれる。だから先に、道を引いておく。今日の私は、うまく話せなかったし、手も挙げられなかったし、予定も完璧にはこなせなかった。でも、黙ってしまった自分を見つめて、次の一手を考えた。それだけでも、明日のための小さな火種にはなるはずだ。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。