英語はサボったのに、問題は220問解いた夜の話

朝の光はいつも、こちらの決意だけを先に起こしてしまう。目覚ましが鳴ったのは確かで、身体も一度は布団を離れたのに、気づけば時計はもう随分進んでいた。七時半起き。やるはずだった英語は、机の上に置いたままのノートみたいに、開かれないまま一日を見送った。言い訳は簡単で、眠気とか、準備とか、些細な用事とか。けれど本当は、最初の一歩を踏み出すのが面倒だっただけかもしれない。朝というのは、未来の自分に約束を投げる時間で、投げた約束が床に落ちる音だけがやけに大きい。

帰りに買うつもりだったパックご飯のことを、昼過ぎにはもう忘れていた。生活はこうやって、細い糸みたいな予定をぷつぷつ切りながら進んでいく。なのに、なぜか「やらなきゃ」だけは切れずに残る。今日は資格の問題を解く日だ、と決めていた。目標は二百五十問。数字にすると頼もしいのに、実際は一問ごとに小さな坂を登らされる。気が遠くなるほど地味で、だけど地味だからこそ、やり切れた日は自分の輪郭が少し濃くなる。

結果は二百二十問。目標には届かなかった。けれど、届かなかったという事実より、二百二十という数が今日の手のひらに残っている感触の方が確かだった。久しぶりに集中したせいか、帰ってから身体が妙にだるい。頭の中だけが働き続けて、身体が置き去りにされたみたいな疲れ。頑張った疲れは気持ちいいはずなのに、夜になるとその重さがそのまま現実味になる。

そういえば、観るつもりだった番組も結局観ていない。やることが多いわけじゃないのに、やったことが散らばっている。ひとつの達成が次の達成に繋がらず、床に落ちたビー玉みたいに転がっていく。拾い集める手間だけが増えていく。

そんな夜に、ふと誰かのことを思い出して、自分の単純さに苦笑した。既に家庭を持つ人と少し話すだけで、こちらの心拍数が勝手に速度を上げてしまう。まるで、触れてはいけない展示物の前に立った子どもみたいだ。自分の「ちょろさ」が可笑しい反面、そろそろ結婚というものを現実の地面に下ろして考えた方がいいのかもしれない、とも思う。憧れや焦りではなく、生活として。身を固めるという言葉の硬さが、今夜は妙にしっくりくる。

結局、今日のいちばんの収穫は「週間」や「月間」の予定を立てた方がいい、という当たり前の結論だった。明日だけを見ていると、明日に振り回される。やるべきことが定まっていないから、疲れ方も定まらない。大きな地図がないまま、毎日小さな道を選んでいる感じがする。

英語はできなかった。番組も観ていない。ご飯も買い忘れた。だけど二百二十問解いた。小さくても確かな足跡がある。明日はその足跡を、もう少し遠くへ伸ばせたらいい。落ちた約束を拾い上げて、今度は机の上でちゃんと開く。そんなことを考えながら、重い身体を引きずるように眠りへ向かった。


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この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。