卵をこぼして、挨拶が詰まって、それでも一日を畳んだ夜

月初の朝は、机の配置換えみたいに、心の中の家具まで勝手に動かされる。昨日までの自分が座っていた場所が、今日はもう自分のものではない。席が変わるだけなのに、空気の流れが変わる。そういう些細な変化に、私はいつも過剰に反応してしまう。

朝は半熟のたまごをこぼした。黄身は意外と意思が強く、こちらの都合なんて聞かずに広がっていく。結局、きれいに整えた朝食の計画は崩れて、卵かけご飯に着地した。失敗のリカバリーとしては悪くない。むしろ、卵かけご飯用の醤油が妙においしくて、人生はこういう「予定外のうまさ」に救われるのかもしれないと思った。次は、白米に小さなポケットを作ってから卵を乗せる。たぶんそれだけで、こぼれ方が変わる。たったそれだけの工夫を、私は何度忘れて、何度思い出すのだろう。

やるはずだった英語は、やらなかった。やらない理由はいつも立派で、疲れているとか、時間がないとか、明日まとめてとか。でも本当は、だらつきが心地いいからだ。やるべきことを先送りにする瞬間だけ、世界が少し静かになる。静かになった結果、後から騒がしくなるのも知っているのに。

職場では、たった一週間ほど間が空いただけなのに、挨拶がうまく出てこなかった。喉がきゅっと絞まって、言葉が細くなる。自分の気の小ささが、まるで欠陥みたいに思えて嫌になる。誰も気にしていないのに、自分だけが自分を責めている。そういう日がある。

席は二人並びになった。隣の人は、なんだかいい匂いがした。こう書くと我ながら気持ち悪い感想なのに、でも確かに「整った匂い」というものがあって、それは生活の余裕の匂いにも似ている。服の匂いにもう少しお金をかけてもいいのかもしれない、なんて考えた。香りは目に見えないくせに、距離を縮めたり広げたりする。言葉より先に印象を置いていく。

資格のことを考えると、少しだけ気持ちが前に進む。ある試験は、この調子なら今週中に届きそうだ。もう一つは、雲をつかむみたいで、家でやるつもりが結局できていない。机に向かう前に、心が別の場所へ逃げてしまう。けれど、別のニュースで胸が高鳴った。制度が改定されるらしい、という話。まだ不明点だらけなのに、「変わる」というだけで興奮する自分がいる。変化は怖いのに、変化が好きだなんて矛盾している。でもたぶん私は、世界が動いている証拠を見つけたいのだと思う。

朝一で延ばすべき期限は延ばした。ぎりぎりでも、やったことはやった。ただ、関係する人はまだ休みで、手触りのない宙ぶらりんが残る。宙ぶらりんは、疲れる。

それでも今日、隣の人が話しかけてくれたのは嬉しかった。私は自分から話題を投げるのが苦手で、そのたびに申し訳なさが胸の奥に溜まる。けれど、誰かが投げてくれた言葉を受け取って、ちゃんと返せたなら、それは小さな前進だと思いたい。

夜になって振り返ると、職場で少しうとうとしてしまったことも思い出す。体が先に正直になる日がある。だから今日は、そろそろ寝る。卵をこぼした朝から始まって、言葉が詰まる昼を通って、なんとか一日を畳んだ夜。派手な達成はないけれど、こういう日を積み重ねた先に、たぶん資格も、英語も、挨拶の声量も、少しずつ変わっていくのだろう。変わることに興奮する自分を信じて、布団の中で静かに目を閉じる。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。