霧に手を入れる前夜のカイロ
朝が、薄い膜みたいに身体に貼りついて剥がれなかった。目は開くのに起き上がれない。頭の中では「英語」と「ニュース」という二つの旗がぱたぱたと風に鳴っているのに、手を伸ばす前に布団の重力が勝ってしまう。やる気がないわけじゃない。ただ、スイッチの位置が少し遠い。そんな日がある。
それでも、日中のどこかで机に向かって、模試を三回分やった。紙の上の文字は冷たいのに、解き終えるたびに体温が戻ってくる感じがする。結果は全部、八割を超えた。胸を張っていいはずなのに、喜びは派手に跳ねない。花火じゃなくて、掌の中で小さく灯るカイロみたいな安心。できたことは確かにあるのに、今日の達成感は「勝った」というより「沈まなかった」に近い。
一方で、今週中に共有できるように、と決めていた資料づくりは手つかずのまま。頭の中には輪郭だけがある。必要な要素も、伝えたい順番も、なんとなく見えているのに、いざ形にしようとすると霧になる。言い訳を探すのは簡単で、でも本当は、霧に手を突っ込んで掴み取る最初の一歩が怖いだけなのかもしれない。完成しないものは、まだ失敗していないから。
夜には勉強会があった。発表は、構成としては少し迷子だった。道案内の看板が多すぎて、どの矢印を信じていいかわからない、そんな印象。特に一枚のスライドに情報が詰め込まれていて、視線が泳ぐ。けれど、内容そのものは役に立ちそうだった。整理されていない宝箱みたいで、開けるのは大変だけど、中身は確かに光っている。自分が作るときは、光を見せる順番を間違えないようにしたいと思った。
通販も、結局できなかった。やりたいことが「今日」から少しずつ押し出されて、明日という曖昧な棚に積み上がっていく。積み上がるほど、取り出しにくくなるのに。焦りはある。でも焦りだけでは手は動かない。手を動かすには、もっと小さな、具体的な引き金が必要だ。
そして気づいた。最近、しゃべっていない。声を使っていないと、自分が薄くなる。思考が頭の中で反響しなくなって、感情の輪郭もぼやける。だから、声を出す週間をつけるべきだと思った。独り言でもいい。読み上げでもいい。声は、自分を現実につなぎとめるロープみたいなものだ。
今日の私は、いくつかの旗を掲げ損ねた。でも、いくつかの灯りは守れた。明日は、霧に手を入れる。まずは一行でもいいから書く。声も出す。小さくても、確かな音を立てて一日を始めたい。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。