夕方に目が覚めた瞬間、今日がもう終わってた

目が覚めたのは、昼というより午後の奥のほうだった。カーテンの隙間から入る光はもう角度を変えていて、世界が「とっくに始まっている」ことだけがやけに鮮明だった。起き上がる理由はたぶんどこかにあったはずなのに、手を伸ばせば届くはずのそれは、透明な膜の向こうで揺れている。気づけば夕方まで、時間は指の間からこぼれる砂みたいに落ちていった。何かをした記憶より、何もしないことに身体が馴染んでいく感覚のほうが濃い。

それでも、帳尻合わせみたいに「買うもの」を並べてみた。必要なものを必要な順に並べると、生活がきちんと前に進むような気がするからだ。けれど書き出した項目の多くは、指先ひとつで届く場所にしか存在しない。玄関の外へ出る必然は薄く、薄い必然はすぐに破れる。今日という一日の背骨が、そこでふにゃりと曲がった気がした。

動き出せない理由は、精神論じゃなくてもっと単純なところにあった。肌にまとわりつく停滞感、こびりついた昨日の影。シャワーを浴びないと、エンジンがかからない。そう分かっているのに、浴室までの数歩が遠い。人はときどき、たった数メートルに負ける。水の音を想像するだけで少し救われて、でも想像だけで終わる。頭の中でだけ、きれいになった。

空腹は現実の形でやってくる。結局、頼み慣れた円い食べ物に手を伸ばした。けれどその円は、値段のところで妙に現実味があり、ここにも「今日」が刺さる。高いな、と思う。けれど高いからやめる、とはならない。今日は何かを選ぶ力が弱い。さらに追い打ちみたいに、届け先の情報がずれていたらしい。自分の居場所の座標が、システムの中で少しズレる。その小さなズレが、今日の自分に妙に似ていて笑えなかった。

届いたものは美味しかったのかもしれない。でも二枚を平らげたあたりから、世界はふっと暗転した。映画の場面転換みたいに、意識がカットされる。気づけば二時間ほど、身体が勝手に休憩をとっていた。眠りは救いでもあるし、逃避でもある。どちらかに決められない曖昧さが、今日の輪郭をさらにぼかす。

そして最後に残るのは、シンプルで残酷な感想だ。「本当に今日、何もしていない。」
けれど、何もしていない一日にも、微かな物語はある。動けなさの理由を探したこと。必要なものを整えようとしたこと。水に向かう勇気を、頭の中で何度も試したこと。居場所がズレた瞬間に、今日の自分を見つけてしまったこと。眠りに落ちて、また浮かび上がったこと。

たぶん今日は、世界に追いつけない日だった。けれど追いつけない日があるから、追いつける日もある。砂みたいに落ちた時間のぶんだけ、明日は少しだけ、手のひらに残るものがあるといい。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。