飲みすぎた夜にだけ現れる、風船みたいな人の正体
朝のページに、ほとんど祈りみたいに書いてあった。「歩いて、九時間半」「夜は杯を重ねる」。やる前から無謀で、でも無謀さってたまに、生活の輪郭をくっきりさせる。今日はそれを試す日だったはずなのに、時計の針はいつのまにか午後の深いところまで沈んでいて、16:12という中途半端な刻印だけが、床に落ちたレシートみたいに残った。だらだら。自分の中の怠け癖が、ぬるい毛布に化けて、身体をほどよく縛っていた。
そこから突然、歩きだす。思い立った瞬間だけ、人はちゃんと動ける。街は細切れのリズムでつながっていて、駅と駅の距離がやけに近い。まるで、せっかちな心臓の鼓動みたいだ。一駅分が短いからこそ、歩くたびに「進んだ」と錯覚できて、錯覚がまた足を前へ押す。結局、坂や交差点や見慣れない店の看板を踏み越えて、二時間半ほどで目的地の手前に辿り着いた。汗は正直で、言い訳は乾かない。九時間半の予定はどこかへ逃げたけれど、逃げたものを追わない日もまた、人生の一部だと思うことにする。
夜、昔の仲間たちと杯を交わす。部屋の隅に置いてきたはずの青春が、グラスの底からふいに立ち上がってくる。あの頃は、世界を変える装置を本気で作れる気がしていた。いまは、世界より先に自分の肝臓が壊れそうで、笑う。飲みすぎた。笑いすぎた。帰り道は、街灯がやさしいフリをして眩しく、言葉が舌の上でよろける。
移動の途中で、遠い過去から抜け出してきたみたいな知り合いに偶然会った。彼は自分のやっていることを、必要以上に大きな風船みたいに膨らませて話した。風船はきれいだけど、どこかで必ず割れる。膨らませる手つきが上手すぎると、こちらはその音を先回りして聞いてしまう。うさん臭い、という感覚は理屈じゃなくて、湿度みたいにまとわりつく。信用できない、と胸の奥が小さく呟いた。そんなふうに誰かを量ってしまう自分も、もちろん綺麗じゃない。
だから最近、喋りの型を考える。「自分の性格が悪いだけかもなんですけど」と先に保険をかけてから、性格の悪いことを言う。卑怯で、便利で、たぶん受けがいい。毒を冗談の包み紙でくるめば、みんな笑って飲み込む。笑いは麻酔みたいで、効いている間だけ、痛みを痛みじゃない顔にできる。
夜風に当たりながら、今日一日の像が少しずつ固まっていく。怠けた午後、短い駅間、過去の仲間の声、膨らむ風船への警戒、そして自分の口の中にある小さな策略。歩かなかった九時間半のかわりに、今日は自分の輪郭をちょっとだけ歩いたのかもしれない。酔いはまだ残っている。けれど、残り香のなかで、「明日はもう少し誠実に」みたいな、青くて軽い決意だけは、どこにも割れずに浮かんでいた。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。