年末の予定より先に、今日が溶けた

朝、目が開いたのは七時半。カーテンの向こうは年末特有の、街全体が「もうすぐ終わるよ」と囁いてくる光だった。起き抜けに頭の片隅で、昨日のタイムラインがまだ泳いでいる。やけに同じタイプの若い男たちが、波のように流れてきた夜。数の多さが熱量を生むのか、熱量が数を呼ぶのか。世の中の需要って、いつもこちらの想像の裏側に隠れている。

台所で卵を割って、白身と黄身を混ぜる。ごはんの湯気に寄り添うように落として、香りの油を回しかけたら――回しすぎた。ごま油は少しのつもりが、主役の顔をして前に出てくる。朝の失敗は小さいのに、なぜか一日の予告編みたいに響く。習慣も同じだ。英語、やろうと思っている。やるべきだとも思う。なのに手は勝手に別のものを掴む。年始までにつける、と自分に言い聞かせて、言葉だけが先に走る。

職場に着くと、そこにはほぼ空気だけがいた。残っていたのは一人。普段、騒がしさで輪郭を保っている場所が静まり返ると、逆に音がうるさい。孤立する気まずさより、いつも賑やかな人が話す相手を失って沈黙している気まずさの方が、やたらと皮膚に刺さる。人の気まずさって、伝染するのだと思う。

それでも今日は、今年最後の出勤日。終わりが見える日は、ゴールテープが風に揺れるみたいに気分を持ち上げる。年末の予定を考えなきゃ、という宿題も、今日は少しだけ軽い。あれもこれも詰め込む前に、まずは「終わった」という実感を掌で転がしたい。

ただ、予定通りにいかないものもある。受けたかった試験の手配が間に合わず、バウチャーの承認という見えない扉の前で立ち尽くす。努力は自分で積めるけれど、手続きは自分の外側で進む。だからこそ、資格のスケジュールを組み直すしかない。人生はときどき、予定表に赤線を引かせるのが好きだ。

夜はとんかつ。名の知れた店の、名の知れた味。高めで、ちゃんとしていて、安心する。「特別」と「よくある」の境界は曖昧で、たぶん値段じゃなくて、その日に背負っていた気持ちで決まる。今日は、すごく悪くもなく、すごく良くもなく、ちょうど真ん中で揚がっていた。

帰宅して、少し横になるつもりが二時間。眠りは短い誘拐みたいに、気づけば時間だけを連れ去っていく。起きてからは、画面の海を漂って、指先で波をめくり続けた。短い動画、短い投稿、短い笑い。吸い込んだはずの情報は、どこにも残らないまま夜が深くなる。

そして一日が終わる。ごま油の強すぎる香りと、静まり返った職場の空白と、やりたかったはずのことの未遂が、同じ引き出しに雑に入れられていく。年末って、こういう日をまとめて「今年」と呼ぶための季節なのかもしれない。明日、日記をシェアするボタンを作る余裕があるかは分からない。でも、こうして言葉にしておけば、少なくとも今日だけは、流れていかなかったことにできる。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。