満足しないために、あえて苦しむという選択

朝はまだ夜の余韻を引きずっていた。自動化の歯車が一つ噛み合っていなかっただけで、昨日の続きは妙に長引く。設定の行間に潜む小さな勘違いを正しながら、画面の向こうに「前後を行き来する導線」や「分かち合うための窓」を想像する。目が覚めたのは遅めで、空腹だけが異様に早起きしていた。寝ぐせは思想のように頑固で、朝の水音がなければ身体は現実に戻ってこない。

眠気は昼になっても粘着質で、椅子に座ると影がまぶたを引っ張る。今日の仕事は学びの時間だった。雲の上の仕組みを眺めながら、地上で培った知識と照らし合わせる。見慣れた景色に新しい地名を貼る感覚は悪くない。比較できること、それ自体が前進だ。

隣席では、言葉の刃が空気を切る。問いが浅い、と誰かが嘆く。その苛立ちは、厳しさが文化として息づく場所の熱を帯びていて、なぜか胸が高鳴る。情報の摂り方についても考えた。紙の重みより、夜の画面越しに届く声のほうが、今の自分には合っている気がする。

帰り道、欲望は思わぬ方角に曲がった。選ぶつもりのなかった物語に手を伸ばしてしまうのは、気持ちが後ろ向きだからかもしれない。誰かに委ねる構図を求めてしまう自分を、少しだけ客観視する。台所では、ごま油が全てを肯定する。肉と野菜が一瞬で仲直りする音と匂いに、単純な幸福が宿る。

自己肯定感について、ふと考える。高い状態を避けがちなのは、そこで満足してしまう器になりたくないからだと思っていた。でも、別の仮説も浮かぶ。苦しみや葛藤を描く作品が好きで、人生の主役が自分なら、その状態を好んで選んでいるのではないか、と。

夜、届いた新しい道具はまだ箱の中だ。代わりに、時間を溶かす誘惑に二度も負けた。やり過ぎだと分かっているから、対策も思いつく。意図的に忙しくなること。余白を減らすこと。結局、思考の整理に没頭しているうちに時計は深夜を回った。明日は大事な打ち合わせがある。早く眠るべし、と自分に命じて、今日という章を閉じる。


この記事について

この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、 生成AIで加工したものです。
個人情報をぼかすため、抽象化を多用するプロンプトで生成しています。