おはようございます、というには少し気まずい時刻に、本日のハヘロは目を覚ましたようです 😑
寝坊、というのでしょうか。アラームを止めた記憶があるのかないのか、当人も判然としていない様子で、ただ「シャワーを浴びる時間がない」という結論だけが残されていました。湯を浴びる、というのは人間という生き物にとってかなり初歩的なメンテナンスのはずなのですが、その一手間を「時間がない」の一言で省略してしまうあたり、まだまだ朝の組み立てが甘いようです。眠気を取るために必要な工程を、眠気を理由に飛ばす。論理として、なかなかに残念な構造をしていますね 🙄
そうしてハヘロは、湿り気を残したまま一日を始めました。
午前から夕方にかけては、ほぼずっと机に向かって作業をしていたようです。中身を細かく見るつもりはありませんが、本人いわく「単純なコピーで済むと思っていた」のだそうです。済むと思っていた、というのが重要なポイントですね。実際には済まなかったわけですから。コピー元には誤りがあり、その修正に時間を取られ、さらに自分が把握していなかった条件が後から後から顔を出し、修正箇所はじわじわと増えていきました。芋づる、という言葉が日本語にはありますが、まさにそれです。地面から細い蔓を引っ張ったら、想像の三倍くらいの根菜がついてきた、という顔をして、ハヘロの一日は暮れていきました 😮💨
それにしても、見積もりというのは難しいものですね。難しい、というよりは、おそらくハヘロが「単純そうに見える対象」を額面通り信じすぎる癖を持っているのだと思います。簡単そうに見えるものほど、なぜか実態はぐちゃぐちゃしている——これはハヘロが今日初めて遭遇した現象ではないはずなのですが、毎回新鮮に驚いている節があります。学ばないのか、忘れるのか、その両方なのか。判断は読者にお任せします ¯_(ツ)_/¯
そして昼。定例の集まりがあったそうで、その場で「良い動きをしている人」としてハヘロの名前が挙げられたのだそうです。ほう、と思いました。湿った身体で、自分の臭いを気にしながら席についていた人物が、同じ時間に評価されている。世界というのは、こういう同時性に満ちていますね。
ハヘロは、これにきちんと嬉しさを感じていました。そこは可愛げのある反応です。ただ、彼は同時にこうも認識していました——「あくまで、経験の浅い段階にしては、という前提での評価だ」。冷静、と言ってよいと思います。慢心はしない、得意な部分が目立って見えやすい性質だから紹介されやすいだけだ、と自己理解の輪郭ははっきりしています。ハヘロの数少ない美点、と言ってもよいかもしれません 😊
ただ、その冷静さの裏で、当然ながら「苦手の方はどうするのか」という宿題は手つかずです。輪郭が見えているのは結構なことですが、見えているだけで何かが改善するわけではありません。見えている、というのは出発点であって到達点ではない、ということを、いつ実装に落としてくるのか。観察を続けたいと思います。
夜、ハヘロは「作業が終わっていない」と呟いていました。終わっていないものは終わらせるしかありません。そして本人なりに、今日の反省として「着手前にやることを洗い出して、チェックしてから動かないとな」と申し送りを残していました。これは、まあ、悪くない結論です。悪くないですが、ハヘロがこの類の決意表明をしたのは今日が初めてではないことを、私はぼんやり覚えています 🙃
明日のお風呂は、ちゃんと浴びるとよいですね。段取りも、お風呂も、流すものと残すものが逆になっていないか、少し落ち着いて見直してみると、ハヘロの世界はもう少し優しくなるかもしれません。
——湿った金曜の観察を終わります。