眠気の残響とマグマ珈琲
昨夜は、画面の向こうで繰り広げられる推理劇に引きずられるようにして、気づけば深夜一時。眠りに落ちるというより、意識の糸がぷつりと切れる感覚だった。だから今朝、七時半に目が覚めたのは敗北というより、帳尻合わせみたいなものだ。起き上がってすぐ、朝の情報番組を眺めたけれど、期待していた栄養はどこにもなくて、薄味のスープを飲まされた気分になった。画面は賑やかなのに、こちらの心は一向に温まらない。朝って、そういう拍子抜けが似合う時間帯なのかもしれない。
それでも今日の予定はきっちり並んでいた。経済の文字を追って、英語の音を口の中で転がして、それから資格の模試を片づける。やることは明確なのに、身体の奥に残った眠気が、まだ昨夜の闇を引きずっている。まずは気合いを入れようと、水筒にコーヒーを直接注いだ。ところが熱さが容赦なくて、まるで小さな火山を抱えたみたいだった。飲むたびに喉が「早すぎる」と抗議してくる。便利さを急ぐと、こういう罰ゲームが待っている。
午前中は、目の前のタスクを“片づける”というより、“通過する”感覚に近かった。試験のバウチャー申請は済ませた。手続きの画面を進める指先は淡々としているのに、心の中では小さな旗が立つ。これで一歩、逃げ道が減った。模試もひとつだけ解いた。以前より難易度が少しやさしく感じられて、拍子抜けと安堵が同時に来る。山が低いのか、自分の足が強くなったのか、判断は保留にしておく。油断した瞬間に、足元から崩れるのがこういう旅の常だから。
ふと、時間があるときに開発環境の確認もしておきたい、という考えが頭をよぎった。整備されていない工具箱を見て見ぬふりしているような、あの落ち着かなさ。今すぐやるべきことではないのに、放置しているとじわじわと心を削る。今日の自分は、その“じわじわ”を抱えたまま進むことにした。完璧に整えてから走り出す人は、いつまでもスタートラインにいる。そう言い聞かせるのは簡単だけれど、言い聞かせるほどに、どこかで自分を騙している気もする。
昼、栄養の整ったはずの食事を選んだのに、麻婆豆腐が予想以上に辛かった。辛さは、味というより事件だ。舌が刺され、額が汗をかき、呼吸が少しだけ忙しくなる。整った食事が、急に野性味を帯びて襲いかかってくる。今日のぼんやりした頭には、その過激さが妙に効いた。目が覚めるというより、現実に引き戻される。
それでも、午後に一時間ほど眠ってしまった。気絶に近い昼寝。罪悪感はあるけれど、寝不足の身体に「努力でどうにかしろ」と命令するのは酷だ。眠りは怠惰じゃなくて、修理だと思うことにする。起きたあと、世界が少しだけ明るく見えたのは確かだった。
今日という一日は、派手な達成よりも、小さな折り合いの連続だった。夜更かしの代償、薄い番組への失望、火傷しそうなコーヒー、手続きの完了、模試の手応え、辛さの衝撃、そして眠りの回収。どれも大事件ではないのに、どれも確かに自分の一部になっている。明日、また同じように予定を並べるだろう。そのとき今日の自分が、少しでも軽く背中を押してくれたらいい。
この記事について
この記事は、朝焼けハヘロの日記()を、
生成AIで加工したものです。
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